【02】



 芙蓉市立次郎丸中学校のバス群は一路、伊豆半島のほぼ中央部にある北翠湖へと向かっていた。元2年5組の総勢32名を乗せたバスは、縦列して走る10台のバスのちょうど真ん中、前から5台目の位置を走っている。
 元2年5組の千堂春はそのバスの中央あたり、左手の通路側に座り、退屈そうな表情で斜め前方にいる女子の賑やかなおしゃべりを眺めていた。
 後ろを向いて楽しそうに話している川地智子(かわじともこ/女子4番)の隣りは、どうやら紺野仁衣奈(こんのにいな/女子6番)で、興味なさげに欠伸をするのが窓に映って見えた。まあ彼女のそれは今に始まったことじゃない、いつも物憂げで気だるそうだ。智子も慣れたもので、そんな仁衣奈には構いもせず次から次へと話題をかえて、後ろに座る律子や小岩井奏美(こいわいかなみ/女子5番)に向かっておしゃべりに花を咲かす。まったく女の子ってのは、何をそんなに話すことがあるんだろう。
 さっきまで智子の話に笑っていた榎本香織(えのもとかおり/女子3番)は眠ってしまったようだ。その後ろには、五十嵐聖名(いがらしみな/女子2番)麻生友香(あそうゆか/女子1番)が並んで座っている。4月に転入してきたばかりの友香を、聖名が世話を焼いている姿は今日に限らずよく見かけた。
 そんな女子からぽつんと離れて座るのは成瀬明日香(なるせあすか/女子14番)だ。彼女は普段から、女子特有の群れる行為を嫌っているように見えた。
 ふと、視界を学生服の背中が遮る。
「律子、ちょっといいか?」
 そう律子に声をかけたのは、平松伸(ひらまつしん/男子13番)沖俊平(おきしゅんぺい/男子4番)といった仲間たちとバスの後部座席を陣取っていた中嶋龍吾だった。現地に着いてからの待ち合わせ場所でも決めるんだろうか、彼女が無防備な笑顔をみせたところで、ちらりハルは窓の外へと視線を外した。
 
 まったく、意外と未練がましいな、俺。ハルは小さくため息をつく。ハルが律子に告白もせず振られたのはもう半年前のことだった。
 童顔で小柄な律子は、男女問わず好印象を与える存在だった。彼女とハルは小学校が同じで、思えばその頃から可愛いなと思っていた。おまけに律子が実は自分を好きだということも知っていたから、余計に意識していたかもしれない。友達の友達から聞いた(こういう話はどこからか本人の耳に入るものだ)こともあったし、何より律子自身を見ていればそれぐらいすぐにわかった。
 だが、その状態に甘んじること約4年、去年の夏休みが明ける頃、律子に彼が出来たという噂が流れたのだ。
 その相手が、金髪に近いほどの茶に染め上げた髪が目立つ中嶋龍吾だというからまた驚いた。多少やんちゃだけど悪い奴じゃない――が、とにかく取り巻く女の噂が絶えない。180センチ近くある高身長、顔だって切れ長の目が印象的ないい男だ。話してみれば意外に話しやすく面白い。運動神経も市内トップレベルで、得意のサッカーでは全国でもレベルの高いこの静岡県の県選抜に選ばれるほどの実力の持ち主とくれば、女子たちが放っておかない。
 まあ最近は練習も真面目に行かず、煙草の吸いすぎで持久力不足だとサッカー部の顧問がぼやいているらしいけれど。龍吾の方も特定の彼女を作らず、不特定多数の女子との付き合いを楽しんでいるようだった。
 つまり、ふたりが付き合うことはまさに晴天の霹靂で、その噂は夏休みの間に瞬く間に広がった。同時に、律子とハルが相思相愛だと認識していた多くの友人がハルに詰め寄ったことも事実だ。
 感覚としての龍吾と律子は、確かに仲のよいクラスメイトではあったけれど、でもはたして付き合うほど互いを意識していたのかといえば疑問で――もちろん、ハルにとっても与り知らぬところだった。
 そんなふうにして、当初こそ一悶着あったと記憶しているが、毎日一緒に登下校する二人の風景がいつのまにか自然と馴染み、今は仲のいいカップルという認識で落ち着いている。過ぎてしまったことは仕方がない、ハルは潔く身を引いて現在に至るというわけだ。
 ふと、ハルの視界にちらちらと光が舞った。
 気づいて視線を上げると、ハルの目前をぴらぴらと健康的な浅黒い手が行ったり来たりしていた。
「あらあらハルちゃん、女々しくってよ?」
 女のものにしては少し大きすぎ、男にしては華奢なこの指の持ち主は顔を見なくたってもわかる、奏美のものだ。
「余計なお世話」
 ハルは、不機嫌そうにその手を払いのけた。無愛想なその反応に奏美は構いもせず、ハルの隣の補助シートを乱暴に倒して腰をおろした。
 大柄な体格からわかるように、男子にも負けず劣らず抜群の運動センスを持った奏美は、大会が近づくとあらゆる部活からも引っ張りだこで、またそのすべてに手を抜かず参加してしまうため年中日に焼けている。おかげで筋肉は衰えることを知らない。切れ長で涼しげな目元、小さな鼻と形のいい唇。大人しくしてればそれなりによく見えるんだけれども――大口を開けて笑う彼女をちらり見て、ハルは少し笑った。
「まあ、泣きたくなったらあたしが一緒に泣いてあげよう」
 奏美は律子の大親友であり、かつて律子がハルを好きだった頃、そのことをハルに告げ口した張本人でもある。そしてハルの気持ちも知っている幼馴染で――最近はなんとも居心地の悪い相手だった。
「そりゃどうも」
一応礼を言っておく。「一緒に泣いてあげる」という気持ちは、あながち嘘じゃないだろう、あのとき同時に奏美も龍吾に失恋したのだから。
 あの2人がくっついたおかげで、繋がりかけていたと思った赤い糸が、いくつもばっさりと絶ち切られてしまった。まあそのうちの大半は、自分勝手な一方通行の思い込みなのだが。
 そんなことを思いながら、またぼんやりと車中を眺めた。
 女子に負けず劣らず、男子連中もぎゃあぎゃあとはしゃいでいる。中心はもちろん楢橋と野々山で、大人しい桜田望(さくらだのぞむ/男子6番)遠藤昌樹(えんどうまさき/男子3番)まで巻き込んでいる。
 うるさいと思う奴、いないんだろうか。思って、クラスでも大人びた連中がまとまって座るバスの後方を振り向くと、杉本智恵理(すぎもとちえり/女子9番)が化粧を直しているところだった。水無瀬沙羽(みなせさわ/女子16番)と沖のカップルは手を繋いでいて――前方とは対象的な雰囲気に、ハルは思わず苦笑した。
「あー!小岩井さん!」
委員長の声がして、奏美が「あ、やば」と肩をすくめる。
「補助席は使っちゃだめだって、俺、ちゃんと言ったよね」
危ないんだから、と席に戻るように促されて、奏美はにっこりと笑う。
「はいはい。あ、梅ちゃん、細かいこと言う男はもてないって知ってた?」
 ああ、余計な一言を。そこへ、前の座席に座っていた楢橋拓斗が割り込んだ。
「なんだよ奏美ー。ハル狙いかあ?!」
 同時にぴょんと顔を出したのはもちろん野々山悠だ。彼らが関わるとなんでもないことも騒ぎになる。拓斗と悠のコンビのせいで、去年2年5組が落ち着きのないクラスだと言われ続けたと言っても過言ではない。
「やだ、しゃべると馬鹿がうつる」
 近づく拓斗から少しでも遠くなるよう奏美が仰け反った。
「頼むから、ほら、みんな席にもどって!」
 不機嫌な委員長の声が再び割り込んだ。眉間のしわがいつもより深い気がするのは気のせいじゃない、事態を収拾するのはいつも彼の役目だから。
「はーい。ごめんね梅ちゃん。さあ、ハウスハウス!」
 奏美が補助席から立ち上がる。ぱんぱんと手をならして、楢橋と野々山をしっしと追い払った。
 
バスはちょうど高速道路を降りて、インターチェンジ特有のきついカーブに差し掛かっていた。ほんの軽い圧力を感じながらハルは、バスの揺れに身を任せ目を閉じた。




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