【05】



 教壇に立つ男が、二人目に目覚めた生徒、ハルの気配に気づいた。怯える素振りも見せずまっすぐな視線を投げつけるハルの姿に、男はしばし見入った。
「目覚めましたか。君は、えーっと。3年9組の千堂春くんだね」
 その男の確認に軽く頷き、ハルは勝手に発言権をもらったことにして口を開いた。そして、秀臣とのやり取りの中で気づいたひとつの事実を問うてみた。
「話はずっと聞こえていました。そこから判断すると、プログラムに選ばれたのは3年5組ですね?5組を連れてこようとして『中3−No.5』のバスごと運んできたが、乗っていた僕らはクラスシャッフルのせいで、元2年5組の生徒だった。つまり、参加者を間違えて連れてきてしまったということなんですよね?」
 ずいぶん深く眠っていたせいか、思わず低い声が出た。ろれつは怪しかったが、最後まで噛まずにすんだだけで合格だろう。
「なるほど。君はずいぶん優秀らしい」
 男はハルの質問には答えず、手元の資料とハル自身とを見比べながら言った。
「そうなんですね?」
2人の視線が絡み、そのまま互いを探り合うような時間が流れたあと、男はねっとりとした笑みを浮かべてゆっくり頷いた。――ちくしょう。激しい怒りと恐怖が湧き上がったが、同時に諦めの気持ちも生まれた。そう、たとえ間違いだったとしても、彼らはそれを堂々と正当化してみせるに違いない。何を言ったって覆ることなどない。それほどに、この国の政府は絶対だった。ハルは、長いため息を吐いた。
「ふ、ふざけんな!」
 今まで黙っていた秀臣が、震えた声をしぼり出した。
「滝沢くん。これ以上の質問は後にしてくれ」
 男は灰色の顔で立ちすくむ秀臣を、面倒くさそうにちらりと見た。
「俺は3組なんだ、家に帰せよ!」
 秀臣は止めない。残念ながら彼の脳内は混乱していて、思考は止まっていた。プログラム、殺し合い、間違い――同じ言葉が同じところをぐるぐる回り続けるだけだった。
「後でちゃんと説明するから、それまで黙って座ってなさい」
 まるで野良犬を扱うようにひらひらと手で軽くあしらわれたことで、秀臣の何かが弾け、顔が見る間に赤くなった。おかげで止まった思考は動き出したが、それは良くない方向だった。
「馬鹿にすんじゃねえ!」
 堰を切ったように秀臣が男を怒鳴りつけた。食って掛かる秀臣に、男の苛立ちも比例していく。ハルも焦った。
「もうやめとけ、秀臣」
 たまらずに声をかけたそれが、秀臣にとっては逆効果だった。ハルにたしなめられた彼のプライドは大いに傷つき、怒りに任せて大声を出した。
「うるせえよ、ハル!いつもいつも偉そうにしやがって」
 ハルは判断を誤ったと後悔したが、もう遅かった。冷ややかな目をした男の手が、滑らかな動きでホルスターに添えられるのが見えた。
「てめえら起きろよ、いつまでも寝てんじゃねえ!」
 男の静かな殺気に気づく様子もなく、秀臣は机や椅子を蹴りつけながら叫ぶ。ざわざわと、人の気配が動き始めた。クラスメイトたちが目覚め、鈍重な声が聞こえ始めた。
「なんだよ、ここ?」
「誰だよ、声大きいよ」
「あれ、何ソレ?ほら、首のところ…」
 目をこすり、周りを見回し、首に巻かれた金属に驚く――みな一様に同じ行動をしてみせた。
「お前ら!ぼけぼけしてる場合じゃねえんだよ!」
 秀臣はこめかみに青い血管を浮き上がらせながら、まだ完全に事態を把握していない生徒の腕を掴んでは揺り動かす。秀臣の声がさらにトーンを上げる。
「おい、起きろよ!」
 そのときだった。
 パンッッ
 
 短く、乾いた音がした。
 すでに目覚めていた数人はその聞きなれない音に反応し、ぼんやりと辺りを見回した。鈍った五感の中で、唯一まともに働いた嗅覚がその異変を感じ取る。乾いた煙の匂い、湿ったカビの匂い、真新しい血の匂い。
 その真ん中、硝煙の匂いにまみれながら、男が笑った。
「頭の悪い子は嫌いなんだ」
 腹に穴の開いた秀臣の体がゆうらりと揺れていた。瞳孔が開きつつある彼の顔は、飛び散った彼自身の体液で真っ赤に染まり、見る間に色を失ってゆく頬の青白さと対照的なコントラストを見せていた。
「ヒゥ…ーー ヒュ…ウー…」
 何か言葉を発しようとしたのか、秀臣の口から空気の音が洩れた。唐突に響いた大音量にびくりと体を震わせた館脇律子が、不快な眠りからやっと目覚め、なんとか体を起こして、ゆっくりと辺りを見回すまでの一連の行動をハルは見ていた。ぼんやりくぐもる彼女の耳にも聞こえているはずのそれは、液体の滴る音。
 ビシャ ビシャブシャ…ッ  ビシャッ…
 音のする方、廊下側の最前列に顔を向けた律子が仰け反った。くらり、軽い眩暈に襲われながら、その信じ難い異常な光景に彼女は目を奪われていた。
 秀臣は、腹あたりから大量の鮮血が流れ出ていた。銃弾が飛び出た背中側は大きく抉られている。まるで水道の蛇口をひねったように、とくとくと流れ落ちる赤い液体。こんなにも間近で見ているというのに、まるで遠い世界のそれのようで、一体何が起こっているのかリアルには届いてこない。
 その張本人、秀臣にしても似たような反応で、目を剥いて自分のへそあたりを見つめている。空を虚しくもがく秀臣の腕。ゆっくりとその場に崩れ落ちて行くさまは、ビデオをスローモーションで再生してるかのようだった。
 ああもうすぐ、秀臣が死ぬ――ハルはその死に加担したかのような罪悪感を感じながら、ぐっと拳を握り締めた。





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