【06】




「きゃぁぁ……ああああああっ」
 悲鳴があがった。それを合図にして、叫び逃げ惑う不規則な足音が聴覚を刺激した。突発した混乱の中、目覚めてない者などただ1人もいなかった。
 外から鍵のかかっているらしいドアを力づくで開けようとしている連中、窓の目張りを剥がして逃げようとする連中。そんな中、動けずにいる律子を見ていたハルもまた動かずにいた。まっすぐに秀臣を捉えた律子の目は、まるで別の意思を持ったかのように離れてくれない。そしてハルも、その彼女から目が離せなかった。
ドォーーーンッッ
 しかし、秀臣の体が完全に床へと倒れこんだ瞬間に悲鳴も怒号もすべてが止んだ。
「ほら、席につきなさい」
 そこへ、よく通る落ち着いた声がした。すぐ近くから聞こえた見知らぬ声のした方向、教壇へ向かって一斉に視線が集中した。そこにはにっこり笑う男が居て、仄かに白い煙が燻る銃口がこちらを向いていた。秀臣を殺したのは、明らかにこの男だ。
「早く席につけ。滝沢のあとを追いたいか?」
 穏やかな声や表情とは裏腹に感じる妙な威圧感に、生徒たちは顕著に反応した。みなおずおずと近くの席に腰を下ろした。強張る顔は恐怖におののいている。
 教室には、とろとろと流れる秀臣の血液が川を作る音さえ聞こえそうなほどの静寂が訪れた。もう、自ら口を開こうだなんて思う者はいないように思えた。
 そして、たった今硝煙を上げたばかりの銃をやっとホルスターに納めて、藤堂は笑った。
「これからプログラムの説明をするから、姿勢を正してちゃんと座りなさい」
 『プログラム』――それは人生最大の難関にして、絶望的な門の名前だった。
「ちっ」
 聞こえた舌打ちは、窓際の最後列、中嶋龍吾から発せられたものだった。ハルは少しだけ首を動かして、不機嫌そうに眉間にシワを寄せた龍吾を見た。律子もまた、龍吾の方を振り返ってみたが、腕組みをしたまま窓の外を睨みつけている彼に、彼女の不安げな視線は届かなかった。
 静まり返った教室に思いのほか響いたその音の主に、藤堂はチラと目だけをやったが、それ以上は何もなかった。藤堂は、チョークを手に取り、生徒に背を向けた。
「僕は、藤堂圭司(とうどうけいじ)といいます。今日からこのクラスを受け持つ担任なので、以後お見知りおきを」
 黒板に書かれた“藤堂圭司”という文字は、少し右上がりに歪んでいた。
「さて。君たち、戦闘実験第68番プログラムのことは知っているね?」
 また、多くの肩がびくりと揺れた。
「わが国専守防衛陸軍が防衛上の必要から行っている戦闘シュミレーションだ。1947年から続いているこの実験は、毎年全国の中学校から3年生の50学級を選んで実施し、各種の統計を重ねている。実験の内容は至って単純、各クラス内で生徒を互いに戦わせ、最後の一人になるまで続けて、そのデータを集めることが目的だ」
 わが国唯一の徴兵制度、とかなんとか理由をくっつけて、毎年二千人近くの中学3年生が公然と殺しあう国家行事だった。たまにローカルニュースでプログラムの結果報告が流れると、ハルの母は顔をしかめてTVを消した。ちらりと見たことがあるその内容は、優勝者決定までの所要時間が何日だとか、死亡原因の内訳だとか、不快でしかなかった。それは歳を経るほどに、恐怖も合わせて感じるようになっていた。
 クラスメイトが殺しあうなど、あまりに馬鹿げたシステムではあったが、それに抗う方法などなかった。政府のやることに逆らえるわけがない、従うしかないのだ。
 ハル自身、無作為に選別される対象クラスに「選ばれるはずがない」と日々を過ごしてきた。おそらく、ここに居るほとんどの生徒がそうしてプログラムの存在を遠くに追いやってきたはずだ。それなのに、まさか。
「このたび光栄にも、ここにいるみんなが今年の第3号プログラムの対象として選出されたことを、ここに報告する!」
 静寂の間に淀んだざわめきが、波のように唸り教室全体を揺さぶった。あちらこちらから聞こえるすすり泣きが耳についた。藤堂は生徒たち一人ひとりをゆっくりと嘗め回すように見やったあと、たっぷりと時間を取って満足げに言った。
「よって、君たちは今日から3年0組です!戦闘実験第68番プログラムへの参加、本当におめでとう!」
 やけに愛想よく快活に話す藤堂に、改めて激しい嫌悪を覚えた。ちくしょう。人違いで連れてきた件はスルーかよ。思わず睨み付けるハルに気づくと、藤堂は満足そうに笑って唇に人差し指を押し当てた。その仕草は女子がよくやる「内緒ね」と同じだった。
 何が内緒だ!その仕草の意味を知るのは、秀臣がいない今、もちろんハルただ1人だった。藤堂はねっとりとした笑みを浮かべている。ハルは藤堂に掴みかかりたい衝動に駆られたが、必死に押さえ込んだ。ここで「人違い」の事実をみんなに伝えたところで、さらなる絶望を突きつけるだけだ。そう言い聞かせ、ハルは重い言葉を飲んだ。
 時計が午後12時半ちょうどを刻んだ。学校を出発してから約5時間、バスの中で最後に時計を見たのは、たしか9時45分。あれから約3時間、俺たちは眠らされて、荷物のように運ばれてきたってわけか。それはまるきり“拉致”だった。
 今までもこうして、何千何万という14-15歳の中学生が、望まぬ戦いを強いられ死んでいったんだ――知らなかったわけじゃない、知ってたじゃないか。それなのに俺たちはずっと、その罪の大きさに気づかぬふりをしてきただけだ。
 ハルは奥歯をギリと強く噛みしめた。






滝沢秀臣(男子8番)腹部被弾により死亡
【残り 31/32名】
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