【07】


 
「僕のことは、ちゃんと『圭司先生』って呼ぶように。『圭司さん』だと、なんだか紛らわしいからな」
 照れたような笑顔を見せながら、新鮮な血の生臭さが漂う教室で、藤堂はまるで新任教師のそれのように自己紹介を続けた。たいした理由もなく無残な死体となったクラスメイトが転がるその場所は、重苦しい空気が圧し掛かっていた。
「な、な、なんで…なんで、臣がっ」
 教室の中央付近、秀臣が倒れるすぐそばから上ずった声が上がる。顔面を蒼白にした桑原学(くわはらまなぶ/男子5番)だった。紅く血まみれた秀臣から視線を外せないまま、壊れたレコードプレイヤーのように意味のない単語を繰り返す彼の唇は、たぶん恐怖からなのだろう、紫色に変色していた。
 おい、頼むから黙っててくれ。この男の機嫌を損ねるようなこと言うなよ、皆が不安をその目に湛えた。緊迫感がみなぎるその真ん中で、藤堂はひとりのん気だった。いや、そういうふうに見えた、というだけだが、とにかく。彼の立ち振舞いはゆったりとしていた。
「君は桑原くんだね。なにか質問でも?」
 藤堂に促がされても、どもりながらオロオロするばかりの学の姿を、誰も何も言えないまま、ただ見守っていた。だが1人、それを言葉でなく態度で表した生徒がいた。中嶋龍吾だった。彼は立ち上がり、誰も座っていなかった目の前の席を蹴り飛ばしていた。瞬間、金属と床がこすり合いぶつかる音が響いた。
「うっうわああああっ」
 龍吾が立てたその激しい音に驚いて、学は頭を抱えその場にしゃがみ込んだ。
 教室の最後列から出たその大きな音の方を、みなが一斉に振り返った。列を乱した机の脇、仁王立ちの龍吾が居た。
 人の顔色ばかりを窺いやがって、表面だけ愛想よく尻尾を振るようなその安っぽい態度にイライラするんだよ――それは今でなくて普段の学の姿なのだが、いつだって大いに気に障る。学に対する(いやこの状況すべてに対してだったかもしれない)苛立ちはあっという間に沸点に達した。
 教室の中央に集まっていた視線はすべて龍吾の方へ移り、藤堂の視線もまたそれにならった。静まり返った教室の中、ごくり、誰かが唾を飲み込む音がした。
「君はー、ああ、中嶋龍吾くんか。なるほど報告書通りやんちゃらしい。君の活躍がとても楽しみだ」
 ホルスターに向かうと思われた藤堂の右手は、ゆったりと前髪をかき上げただけで笑顔とともに教壇の上に落ち着いた。
殺伐とした空気を断ち切るように、すいと手が挙がった――学生服のそれは、今度こそ我等が頼れる委員長、梅原幸治の挙手だった。
「あの、すみませんが、もう少し詳しく説明していただけませんか」
 ああ、声が少し震えている。少なくとも彼は、説明などしてもらわなくとも、ここに居る全員がかの有名な「プログラム」とやらに参加されられるのだということぐらいわかっていたのだけれど。
「ああ、梅原くん。さすが委員長だね」
 感心感心と、藤堂は大きく頷いた。
「では皆さん注目。これからプログラムについての細かいルールを説明する。わからないことがあったらその場で挙手するように。いいね?」
 段取りよく教室の前ドアが開き、兵士が二人キャスターのついたワイヤーシェルフワゴンを押しながら入ってきた。ワゴン一杯に押し込められた荷物は、どうやら軍用のデイパックのようだった。そちらに気を取られていると、後ろのドアからも兵士が三人入ってきていた。彼等は揃っておもむろに銃を構え、その銃口はふてくされたまま立ったいる龍吾にぴったりと合っていた。
 その光景を横から眺める形になったハルには、龍吾の緊張が見て取れた。それでも臆することなく銃口を睨み返す龍吾が頼もしいとも思った。
「ああ。銃を下ろしていいよ。その子は少々荒っぽいだけで馬鹿じゃない」
 藤堂が軽く手を振ると、兵士等はすぐに銃を下ろした。『馬鹿じゃない』と言われた龍吾は、腹立たしげに唾を吐き捨てたが、体を投げ出すようにして着席した。
「いい子だ」
 その龍吾を見て、嬉しそうに藤堂が笑った。これで藤堂と兵士の主従関係が明らかになった。あのひょろっとした青年、藤堂に逆らうことはここにいる兵士全員から蜂の巣にされることを意味していた。
「さて。今みんなが居るのは、伊豆半島の南端から約1500メートルの橋で繋がっている小さな島、知ってるね?栗間島だ」
藤堂は黒板に少し歪んだいびつな楕円形を書きながら続ける。
「住民には出て行ってもらったので、みんなだけの貸し切りとなる」
マンゴーの形に似たそれは、県民なら誰でもわかるだろう、栗間島の地図だった。冬でも霜が降りないからマーガレットが特産だと授業で習ったことがある。
「次に、このプログラムの一番大事なルールはひとつだけ。それは、自分以外のクラスメイトを殺すこと」
 聞きなれない言葉に、ぴくり、ハルの片眉が上がった。相変わらず、物騒な話とは正反対のさわやかな笑顔が不快感を煽る。
「それと、気がついてると思うけど、みんなについてるその首輪は、みんなを識別する大事な機械だ。絶対に外したりしないように」
 その言葉を受けて、何人かが確認するような手振りでごそごそ首輪に触れたか触れないかしたとき――「あ!」藤堂がふいに大きな声を出した。
「首輪、下手にいじると爆発するから気をつけるように、ね?」
 無造作に首輪を触っていた連中が、びくりと反応し慌てて手を離した。
「その首輪は、常にみんなの生体データを監視している。呼吸数や心拍数、血圧なんかを記録していて、僕等のいる本部に送ってくれる優秀な機械だ。だから僕には、もうすぐ死にそうなのに、それでも歯をくいしばって頑張っている人のこともちゃんとわかる。そういう生徒のことは、ついつい応援しちゃうんだ。もし君達の中の誰かがそんな状況になったときには、僕が応援してるってことを思い出して頑張ってほしいなあ」
 ああ、話が逸れたね、笑いながら肩をすくめる藤堂の姿に虫唾が走った。こんなにも自分の命を軽々しく扱われるのは、当然だが生まれて初めてだった。
「とにかく、反則はひとつもない。生存者がたった一人になるまで終わらないゲームだ。誰も死なないまま24時間が経過すると全員の首輪が爆発するからな。つまり、ただ逃げ回るだけでもダメだ。ちゃんと戦うように」
 藤堂はまた背中を向け、先ほど書いた黒板の地図の上に、格子状に縦横10本程度の直線を引いた。
「では次に、禁止エリアの説明をする。禁止エリアとはもちろん、立ち入り禁止区域のことだ。こんなふうに会場を格子状に線を引いて分け、Y軸がアルファベット、X軸が数字で表されたブロックごとに設定される。このエリアは6時間ごとに増えていくから、もし自分のいる場所がそのエリアに指定された場合は、速やかに移動するように。移動しなかった場合はもちろん、首輪が…」
 ボンッと、今度はアクション付きの説明だった。
「そうそう、この島の外へ出てしまうと場外とみなされて失格退場だから、橋を渡って伊豆半島に逃げ込もうなんて思わないように。いいね?」
 退場、それが意味するのはつまり、死だ。意識しなくとも喉が渇く。生きてるか死んでるか、はては何処にいるのかさえもモニターされるというわけだ。この首輪がある限りここから逃げ出すなんてことは不可能だし、禁止エリアのせいで一箇所に隠れてやり過ごす事もできない。結局、クラスメイトを殺して生き残る以外、道は残されてないってことか。まったくよく出来たゲームだった。
 今までずっと他人事だと思っていた。馬鹿げた“殺人法律”の犠牲になるのは1年におよそ50クラスの中学3年生だけ、確立だけで言えば、県内で1校当るか当らないかのくじ引きだ。そんなもの、望んだって縁がないと思っていた、いまの今まで。
 ハルは口の端を歪めて嘲笑した。ふと左へ首を動かすと、何人か向こうに龍吾の姿が見えた。ややあって、龍吾はその視線に気づき視線が絡んだが、それだけで互いに何かを伝えることなど到底無理だった。
 無意識に強く握った拳に爪が突き刺さる。ハルの視線は、最前列に座る律子の背中をとらえていた。張りつめた緊張が伝わってくる。背筋をピンと伸ばしているそのさまからわかるのは、彼女なりの強がり。その精一杯さが今はとても痛々しくて、そして少し後ろめたくもあった。
 ざわめくは心の内側、封印したはずのハルの気持ちが揺れていた。





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