【08】



 偶然にも最後列に座らされたおかげで、ハルは全体を見渡せる格好になっていた。怯える背中、震える背中、縮こまる背中――バスの中での騒ぎがまるで嘘のようだ。不気味な笑顔を浮かべながらルールの説明を続ける藤堂は、楽しそうにさえ見える。
「じゃあみんな、机の中から紙と鉛筆を出して。これから僕が言う言葉を、3回づつ書くように」
 言われたとおり机を探ると、A4コピー用紙が一枚と、今ではほとんど使うことのない六角のHB鉛筆が一本あった。静寂の中、それらを取り出すごそごそという音がしばらく続いた。
「では、まずひとつ目。“私たちは殺し合いをする”」
 物騒な言葉に今さらながら反応する。不安そうに周りを見回すいくつもの目が、疑心暗鬼に満ちていた。『本当に、本当にあたしを殺すの?』
 そのうち、ためらいがちにではあるが、確かにカリカリと鉛筆の走る音があちらこちらで上がった――ちくしょう。
「次、ふたつ目。“殺らなきゃ殺られる” ほら、ちゃんと3回づつ書いてるか?」
 言いながら藤堂は、机の間を縫うようにして歩いて回る。背広の裾から見え隠れする銃身が恐怖心を煽っているのは必然だった。
「最後、みっつ目。“昨日の友は今日の敵”」
 到底書く気になんかなれないまま、ハルは教壇を睨みつけていた。ふいに、背後に居る兵士の構える銃が、かちゃりと持ち上げられる気配がした――ちくしょう、反抗するものは容赦なく排除するというわけか。 ハルは、藤堂が得意げに言い放った言葉を3回づつ乱暴に書き殴った。
「では、出発する生徒を決める。僕が選んだカードに書かれている人からスタートしてもらう。その後は2分のインターバルをおいて、男女交互の出席番号順に出発となる。名前を呼ばれたら、元気よく返事をして立ち上がるように」
 また新たに兵士が入って来て、白い箱を藤堂の目の前に差し出した。四角くて上面には丸い穴が開いている、抽選会でよく見るアレだ。ここで引き当てられるのは、当たりかはずれか。穴に突っ込まれた藤堂の手先を見つめて、一同が息をのむ。そのうちに、なんだか儀式めいた手つきで一枚のカードを取り出した藤堂は二つに折られたカードを開いて、にやり笑った。
「スターターは、女子4番の川地智子さん」
「え」
 ふいに名前を呼ばれ、ハルのすぐ前に座る智子の背中が動いた。俯いていた智子が顔を上げ、きょろきょろと周りを見た。その横顔は、いつもの明るく輝いた笑顔は影を潜め、不安に歪んでいた。
「よかったね、川地さん。ラッキーなトップバッターだ。待ち伏せしてるかもしれない『敵』の心配をしなくてすむ」
 ふざけるな。ただでさえ怯えている連中を、扇動する気だ。恐怖は人を駆り立てる。このゲームが成り立つ要因のひとつだ。
 机の上に置かれた智子の、ぎゅっと握られた手がわずかに震えていた。
「さ、川地さん。出発だ。こちらへどうぞ」
 促がされてから数秒後、智子はぐっと顔を上げて立ち上がった。
 ふと、3年前に2人の生徒が脱出したかもしれないというニュースがハルの胸に去来した。脱出できる方法は、本当にないんだろうか――遺体が見つからなかっただけかもしれないが、脱出した可能性だってゼロじゃない。
 ハルは思った。考える時間が欲しい、仲間が欲しい。この状況下でもなお、自分を信じてくれるのは一体誰だ?親友の渡辺結貴と小岩井奏美が真っ先に浮かんだ。少しイライラしているようだが、冷静な目をしている中嶋龍吾も信頼できる男だ。そして、幼馴染の館脇律子。やっぱり信じたいし、信じて欲しいとも思った。
 そうして考えてみると、いざ信用できる人数は意外に少なかった。同時に、自分が信頼される確率もその程度だということだと気づく。
 心なしか足取りの重い智子が教壇の前まで進むと、藤堂はデイバックをひとつ手に取った。そしてまた、全員に向き直って言った。
「このデイバックは、今から一人にひとつ渡す。食料と水、コンパスと懐中電灯、会場の地図、そして大事な武器が入ってるから、出発したらすぐにチェックしよう。あ、武器といっても、銃だったりナイフだったり、まあいろいろだ。男子と女子とか、運動神経の良し悪しとか、最初から決まっている因子に左右されないよう、ランダムに配るからな」
 智子の腕に、どさりとデイバックが乗せられた。受け取るとかそういう意思にはまるで関係なく、とにかくそれを抱え込んで、まるでベルトコンベアに乗せられた荷物のように、教室の外へと押し出されるようだった。
 あと少しで智子の体が教室を出る、そんなタイミングでハルが手を挙げた。
「圭司先生、質問いいですか?」
 智子が一瞬ぎくりとして、踏み出した足を止め振り返る。
「はい、千堂くん、どうぞ?」
 藤堂の笑顔が馴れ馴れしい。まるで、共犯者のそれのように。ハルは気づかない振りをして続ける。
「自分の私物は持ち出し禁止ですか?」
 そう、女子なんかは生理用品とか、化粧品とか。男子で言えば煙草――いやこれは本来持ってるはずのないものだが硬いことは言うなよ――とか。これから始まる命を懸けたゲームには必要ないのかもしれないけれど、とにかく。
 あ、と小さく口を開けてとぼけた顔をした藤堂は「いやいや千堂くんはよく気がつくな」とかなんとか言いながら頭を掻いた。
「私物は携帯してもらって構わない。各自足元に置いてあるので、持っていくように」
「じゃあ、これ、川地さんのですよね?」
 ハルは、一つ前の席にある学校指定のスポーツバックを指差した。
「そうそう。ほら、川地さん、必要なものもあるだろう?取ってきなさい」
 藤堂に促されるが、教室の外に向いている智子の足は震えていて、上手いこと動かない。
「川地さん、どうぞ?」
 藤堂が再び呼びかけたけれど、デイバックを抱えた智子の表情は硬かった。極度の緊張、そして恐怖のせいなのだろう、行きかけた足は戻ることを拒んでいた。ハルはできるだけ陽気に振る舞い、言った。
「あ、よければ俺、持っていきますけど――いいですか?」
「まあ、早く進めたいしね、よろしく」
 藤堂の言葉を最後まで待たずに、ハルは立ち上がり智子のバッグを持ち上げた。ゆっくりと歩む間、いくつもの銃口が自分を狙っていることを感じていた。少しでも不審な素振りを見せたらあの世だな――思いながら慎重に進む。
「はい、川地さん。お待たせ」
 気丈にも笑顔を作ろうとする智子の右肩に、そっとバックの持ち手をかけた。あれ、川地って、こんなに小さかったっけ?体育会系で元気のいい普段の彼女とは別人のような気がした。ハルが少し笑ってみせると、智子の体を見えぬ力で縛っていた何かが、ほんのわずか緩んだようだった。
「ありがと、千堂」
 そう言って――ああ、これが彼女の声を聞く最後になるかもしれない――、13時ちょうどに川地智子が出発した。
「さあ、次は桑原くん。二分後に出発だから準備よろしく」
 嬉しそうに弾んだような藤堂の声に背を向けて、ハルは席へと戻った。途中、ちらと律子を見ると、やや血の気の引いた青白い顔をしていたが、目にはいつもの彼女らしい強さを宿していた。




【残り 31/32名】
【07】<BACK ▽MENU NEXT>【09へ】